◇「変速自転車」 「人生は10段変速の自転車のようなものだ。
大抵の人が使わないギアを持っている。」(漫画ピーナッツ・
スヌーピーの作者の言葉)
◇「アニメと自転車」
アメリカのコミックはコミカルな内容が中心であり、
日本のアニメは、芸術に近い部分もあるように感じます。 小学校の低中学年には、
高学年のギア自転車は憧れの的だったと思います。(
5段ではなく10段あれば、
冬の追い風のときにはバイクくらいは出せるかもしれない感覚はあ
りました。) 政治家は自転車のような危険な趣味を持ってはいけないと思います
。谷垣氏のように大怪我をすると政局に影響します。
論語でも危険な車の運転を諌める場面があったように思います。□
◇「
二毛作の人生の例」Grassmann(グラスマン)
伊能忠敬や
シュリーマンあたりは、
人生
二毛作の典型的な生き方として、よく話題になると思います。
二人とも商人からの転向です。これも、
使わないギアがあった例になります。□ グラスマンは数学者でもあり
言語学者でもありました。
言語学では、
サンスクリット関係の辞典を編集したといいます。
数学では、グラスマン代数で知られています。
教師でもあったためか、
教育的な内容の正確な記号化や一般化をしたという印象があります
。(多重
積分や
微分形式などについてになります)。
応用数学的には、一度理解すればよいところをしつこく、
定式化や一般化をしたような印象があります。(
辞典の編集のしつこさが出ているのかもしれません。) ここには正に、
応用数学との「価値観や共振点」
の違いがあると思います。(大学ごとに研究の共振点は違うようです。
スポーツの大好きな他学部の先生は、
先生から価値観の違いを指摘されるようです。)□
※「音韻変化(単語や音節の結合時」
グラスマンの法則とは、
サンスクリット語などにおける音節の結合時の子音の変化の法則で
あり、日本語や韓国語のものとは違うようです。
日本語の場合には、後の単語の先頭が濁音になることがあります。
ロシア語とも違います。ロシア語では、
前の単語や音節の最後の子音が清音になることがあります(
ロシア語の入門的な話になります)。一方で、
サンスクリット語や
ギリシャ語では、
前の単語や音節の先頭の子音が弱くなるような規則があるといいま
す。これは、中国語や韓国語でいうと、
無気音化のような動きだと思います。□
「仏貴族による
箴言」(格言金言,戒め教訓)
「
我々は我々と同じ意見の人でなければ分別のある人間とは言わない
。」[
箴言集(しんげんしゅう)](
ラ・ロシュフコー)[
仏貴族](1613-80)
◇これは「小人同じて和せず」の典型的な心理だと思います。
しかし、組織のリーダーなら「君子和して同ぜず」
の精神が必要だと思います。すなわち、
多様な価値観に理解を示し対立を抑える側に回るべきだと思います
。
深く考えないで周囲に同調して異なる意見主張と激しく戦う姿勢はやめるべきだと思います。□ ◇人間は、異なる情報や事実認識を元にして考えて、異なる意見を持つようになることがよくあるように感じます。やはり、正しい事実からの共通認識による分別が必要だと感じます。ある意味では、洗脳を解く必要があると思います。□
※[
箴言](maxim,proverb)訓戒(戒め教訓)、
諺(ことわざ)、いましめの言葉、格言、金言。
箴言集は知恵の書。(
論語も
箴言集に近いかもしれません。) [独仏語](
ドイツ語でもフランス語でも英語にeをつけるだけで綴りはぼ問題
ありません。しかしドイツ語のproverbだけは、話語(
話す言葉)のような単語になります。
maximに対してproverbは宗教的な意味が強いようです
。)□
【
経済書籍3点】
◇「大不平等」Bミラノヴィッチ(
みすず書房) エレファントカーブが予測する未来。「
国間と国内の不平等を明確に語ってくれる。」(Tピケティ) 新理論と実証で、所得分布の大変動を描き出す。 「装丁」カバーのエレファントカーブは印刷であり、
エレファント自体は、立体加工によって表現されている。
「エレファントカーブ(象曲線)」
ベルリンの壁崩壊(マウアーファル)
から
リーマンショックの期間を考える。
この期間に所得を増やしたのは、世界の超富裕層(1%以下)
と世界の中間層であり、
約2割のやや富裕層のみは殆ど所得を増やしていない。(
すなわち、先進国の庶民が一番損をしている。)□
◇「資本主義の
精神分析」森内長谷川訳(
東洋経済)
経済学を
フロイトや
ユングなどのソファに乗せて、
その言葉に耳を傾ける。経済の精神と魂はいかに病んだのか。
持つべきか持たざるべきか、それが問題だ。
「原題」「
リリスと悪魔の資本主義」
リリスというのは生まれたばかりの子供を襲う魔女の名前です。
すると、タイトルの訳は、「魔女と悪魔の資本主義」
となるはずです。しかし日本語では、「善と悪の経済学」
と無難に訳してあります。
「装丁」薄いカバーだけは派手であり、
ミケランジェロの天井画の裸絵になっています。
資本主義は
ルネッサンスの頃まで遡って考えるべきだという主張な
のかもしれないと感じます。□
◇「資本主義の終焉」Dハーウ゛ェイ(作品社)
資本主義は破綻するか進化するかを考える。 資本主義の矛盾を17項目に整理し分析して、
資本主義の未来を考察する。 資本主義というエンジンがしばしばエンストする理由を理解し、
このエンジンを交換するなら何とかを考察する。原題「
17の矛盾と資本主義のエンド」(ちなみにエンドには、
目的や役割分担の意味もあります。)
「装丁関係」 カバーの絵は、カネに執着すると、すぐに髑髏(どくろ)
になるといっているように感じます。
カバーを取ったときの表紙の絵は、
フランス革命以前の社会階層を描いた漫画的な絵に似ていると感じ
ます。面白い選択だと感じました。
「装丁一般の感想」 個人的な趣味かもしれませんが、
このような厚いハードカバーなら、A5くらいに大きくして、
本文は縦書き2段以上にして、行間を詰め、
薄くしたほうがよいように感じます。 カバーを取ったときの背表紙は、部分的に濃い色にして、
そこに金のような色でタイトルを刻むのもよいと感じます。
ちなみにこれは、朝倉書店の基礎化学講座の装丁です。□
「
戦争放棄編」寺島俊穂(三和書籍)
参議院事務局編。
幣原喜重郎や
吉田茂が
押し付け憲法論に反論。
アマゾン1位(2018年6月18日)法学資料部門。□
「感想」最近の
改憲議論というのは、
暴走族が暴走行為を合法化しろと騒いでいるのと似ているような印
象があります。(そういえば、
暴走族はどうして日の丸が好きなのだろうかと感じます。)□
「台風の発生状況」(2018年8月)
3日に13号, 8日に14号,
12日に15号,13日に16号,
14日に17号,15日に18号,
16日に19号,18日に20号
(8月の台風発生数の史上最高記録)□
「快川招喜と
明智光秀」(事典とテレビから)
◇快川招喜(かいせんじょうき)は
臨済宗の高僧。俗名は土岐。
美濃の人。
天皇から
国師の号を受ける。
武田信玄が帰依し、
甲斐に移住した。(信長を嫌ったというより、
信玄から招かれての移住だった。) 信長の敵をかくまったとして、寺(の門)を焼かれ焼死した。
死ぬときの言葉が有名になった。「
心頭を滅却すれば火もまた涼し」(ちなみに、
この
恵林寺には信玄の軍配があり、
この形が相撲に使われています。日本の相撲は、
戦国時代以降に確立されたのかもしれません。)
◇
明智光秀は、
自分の思い入れの非常に大きい国を信長から取り上げられました。
さらに、甲斐
恵林寺での信長の残虐な行為などを見て、
信長は天下を治める器ではないと判断しました。(信長は、
天皇に関係する高僧を含め僧侶を百人も焼き殺しました。) この光秀の気持ちは、自身の手紙に残されています。
光秀自身には天下を取る意志はなかったようです。昔、
仕えていた
天皇に権力を持たせようと考えていたことが手紙からわ
かっています。最近では
明智光秀の再評価があるようです。(
甲斐
恵林寺での信長の残虐な行為を知っていた人には、
信長の評価は昔から低かったと思います。
オダギリという名前で織田を切るという意味を連想します。
比叡山では僧兵と戦いもあり、
甲斐での行為とは少し意味が違うように感じます。)□(10月2日)
【薩摩長州の因縁と現代政治】
(薩摩閥と
長州閥の対立)「近代史の基本」
◇
安倍総理は、
薩摩鹿児島の
桜島を背景にして
インスタ映えする出馬表明(
総裁選への)をしました(8月26日)。
質問は殆ど受け付けませんでした。すなわち、
テレビ報道は利用されただけでした。
◇ここでは、
薩摩と長州の因縁の関係をどうしても考えてしまいます。
徳川幕府を打倒するときには仲が悪かった薩摩と長州は同盟しまし
た。(ただし、
西南戦争では、仲が悪くなったと思います。) そして薩摩長州の
藩閥内閣は長く、
太平洋戦争が終わるまで続いたと見てよいように思います。(
例外は
原敬首相以降の数人です。)
藩閥内閣では、薩摩閥と
長州閥との対立もあったかもしれません。
実際に、日本軍の内部では、
長州閥の陸軍と薩摩閥の海軍とは常に対立しており、
仲が悪かったという印象が非常に強くあります。(
戦争中の軍人内閣では、軍の対立が政治の対立に直結します。)
◇最近では長州出身の総理は多いのに、
薩摩出身の総理は少ないように感じます。薩摩からは、
自民党総裁に薩摩出身者をという声があるかもしれません。
長州出身の
安倍総理は、
薩摩の不満を抑えるために薩摩を説得しながら鹿児島で出馬表明を
したように見えます。
◇現在は、明治150年にもなるのに、
まだ薩摩長州の古い関係が日本の政治に大きく影響しているようで
す。これでは日本は、とても、近代的な民主国家とは言えません。
日本の政治は150年前の思考や因縁やしがらみなどを全て捨てて
、近代化すべきなのだと思います。
これでは江戸
徳川幕府が長州毛利幕府に代わっただけであり、
この状態が150年間も続いていることになります。□(
8月30日)
「
明治維新の意味」
毛利氏は関が原の戦いで敗れて、120万石を、
その約3割に減らされ、
長州藩として生きのびました。
薩摩も
外様大名として生きましたが、
貿易による資金がありました。
明治維新というのは、
2百年間以上の徳川への恨みによるものであり、
徳川幕府が長州(
薩摩)幕府に代わっただけのように見ることもできると思います。
(
明治維新の直前のかん臨丸は幕府側の業績であり、
薩摩長州だから近代化ができたということはないと思います。)□
※カン臨丸(カンは感の上部) 以前の
ワープロにはカンがあったかもしれません。
JISコードは確かに振られています。□
【試験点数崇拝の弊害】
◇「日々の授業が試験の点とりを目指せば、生徒は構成想像力(
創造力)を使用せず、発動的な(自発的な)能力に乏しくなる。
生徒の点数崇拝は、自然公愛の心(人類愛や社会貢献の心)
を損害し、危険なる讐敵心(敵対心や競争心)を培養する。
教師は、一個の人間を養成する所以(ゆえん)を忘れ、
試験場一時の虚飾に走るようになった。」(明治の
教育誌から)(
余録)
◇明治時代の学校教育においても、
試験の点数崇拝に関する弊害がたくさん指摘されています。
1960年代の学力テストでも、同様な失敗をしています。
人間には進歩がないことを思い知らされます。 ◇ほうっておいても、
学校教育は受験競走によって歪められる運命にあると思います。
従って、共通試験によって、敢えて、
この方向性を加速させる必要はないように感じます。これでは、
学校までもが
受験産業に組み込まれたかのようです。
◇試験点数と創造性とは、あまり関係ないような印象はあります。
点数が本当の学力なのだろうかという基本的な疑問も残るように感
じます。(この意味では、
英語の試験は常に批判対象だと思います。また最近では、
歴史が考える教科に変わるといいます。) また、
アメリカでは、一流の有名大学でも、
点数だけでは入れないといいます。□(8月4日)
「他動詞と自身という単語」
アイヌ語では
地震のことをシリシモイエというといいます。シリ(
地)シ(自身)モイエ(動かす)という意味になります。(
シを取れば日本語や英語やドイツ語と同じ形になります。
フランス語では地の振動という言い方になります。) 英語以外のヨーロッパの言語(独仏露)には、自動詞がなく、
他動詞を使って強引に自動詞にする場合が殆どのように見えます。
例えば、動くという言葉がないために、
自身を動かすという表現になります。(そして、
アイヌ語もこれに似ているようです。) 自身という単語に関しては、
フランス語ではseなどが動詞の前にきます。(
この位置はラテン系言語で一緒ではありません。) ロシア語ではсяが動詞の後につき動詞と殆ど一体化しています。
ドイツ語ではsichなどが動詞と一緒に使われますが、
文中で離れることがよくあります。(
ちなみに英語にはselfという単語があり、古代中国語には自(
ジ)という単語があります。) 以上では、自身を(自身に)という名詞は、全てs(z)
の発音で始まっており、
アイヌ語も例外ではないようです。 この単語には、火と似たような、世界共通語的な雰囲気があり、
バベルの塔の話を連想します。 以上からは、英語や日本語などは少数派に見えてきます。□(
9月7日)
※「漢字の混乱」 国名の隋(ずい)は初期には隨と書いたものの、隋(だ)を隨(
ずい)にあてるようになりました。本来なら、随筆(隨筆)
や随時の随を国名に使ってもよいくらいだと感じます。□ ちなみに、堕落(墮落)の堕は、
土へんに隋としてからコザトへん(βの形)
を取る形が正しい略字だと思います。楕円(橢円)
の橢も似た略字になっています。□(9月2日)